☆めでたい☆

2003年10月22日
同じ部活の子も宅建試験、合格ラインに行ったそうだ。良かった良かった。

二人で「ゲッツ!!」をしてしまった。

明日(もう今日か)は嫌な時間割り。
1限・4限・5限…(死)

1〜4の間は宅建試験勉強中はむしろありがたかったんだけど、これからはどう過ごそうかな。

図書館でビデオ鑑賞でもしようかしら。


***


講義中、後ろに座ってる人がシャーペンを落としたので拾った。
持ち主は語学の授業が一緒だった人だ。

「久しぶりじゃん、元気?」

と言われたので。

「うん。元気。」

ありきたりな会話。

「就職するの?」

単刀直入な人だなぁ…相変わらずだ。

「うん。不動産なんだけどね。」

「へー。どこの会社?」

ほぼ二年ぶりに話す人なんだけどずいぶん聞いてくる…。まぁいいけど。べつに秘密じゃないし。

「○○○○だよ」

「あ〜!!」

ついでに相手のも聞いておいた。

「そっちは?就職?」

「いや〜、俺は、法科大学院!!」

えー!!!びっくりだ。

いま話題のロースクール。
卒業すれば必ず司法試験合格と同じ扱いになる。
東京に弁護士は余ってるというのだけど、ここでさらにロースクールなんて作っちゃって…。

でも日本はまだ弁護士が足りないらしい。
地方へ行けば引く手あまただろう。


私はもうそろそろ勉強なんていいやと思うけど、そういうのに行く機会が与えられるってのは少し羨ましいなぁ。。。
私の両親は私が大学院に行くなんて全く考えないで来たし…。
私の学生生活がそろそろ終わると思って父親は会社辞めたし。

バイトしながら通って学費払えばいいだろうけど、法科大学院っていうからには毎日相当勉強しないと卒業できないんじゃないかなぁ。

…いずれにしても私には関係のない話。
いや、しかし驚いた。
彼が弁護士………。
ドイツ語の「gegangen」にやたら笑っててドイツ人の先生を困惑させていた彼だったけど(笑)

入学試験難しいんだろうなぁ。
がんばれー。

こわいなー。

2003年10月21日
さっき会社の方に電話をした。
宅建の自己採点の結果を知らせてほしいと事前に言われてたから。

会社の人の話だと、今年は35、6点が勝敗ラインだとか。

…高い。せいぜい34かと思ってた。

やっぱり受験生が増えてることが原因になっているみたいだ。だいたい毎年1万人の合格者を出すから、出来のいい方から1万人を合格させたら当然合格する点数が高くなるわけだ。

しかも去年受験した人の話では、同じ35点の人同士でもなぜか合格と不合格に分かれたことがあったらしい。
そのへんの区別って、どうやって行なってるんだろう…!!

腑に落ちなかったから、不合格だった人は試験をやった所に問い合わせてみたけれど、ちゃんとした回答が得られなかったそうだ。

私は37だったんだけど、大丈夫なのかなぁ。。。

記憶にある限りではマークのミスも無かったと思う。私の筆圧では薄くて機械が読み取れてないってことも多分ない。

会社の人は37点取れてるんなら9割がた大丈夫だろうって言うんだけど、なんだか怖くなってきた。

12月3日まで長いよ…。

宅建受けたぞー。

2003年10月20日
ここのところずっと胸が痛くて眠れなかったりしたんだけど、試験が終わってみると不思議なくらい何でもなくなった…。

やっぱストレスと疲れがたまってたんだろうな。


それにしてもすごい受験者の数だった。

どこもかしこも人・人・人。

宅建は毎年16万人の人が受けるらしい。
年齢層はほんとに豊か。
行政書士を受けた時はもうちょっと若い人の方が多かったけど、宅建はおじいさんみたいな人もたくさん受けるのね。


試験の解答っていうのは、すぐに色んな資格の学校のホームページでもって発表していることは知ってるんだけど、それを見るのはやたらドキドキする。
せっかく今日はこんなにすがすがしい気分なのに、すぐにどん底に自分を落とすこともないだろう、とか考えたり、でもやっぱり気になる!早く見たい!と思ったり。

というわけで、解答はまだ見ないで友達と私の試験終了祝いの打ち上げをした。
それからまた家に11時ごろに帰ってからインターネットで解答速報を見てみた。


ワセダセミナーのホームページを開く。
あったあった解答。
うードキドキする!!

採点の結果、どうやら合格ラインに達したことがわかりました☆

最後の追い込みが効いたんだなぁ。。。

私はいつも自分の「ここぞ!」という所のツメが甘いのを知っていたため(それで行政書士落ちたし)、今度は最後の二週間ぐらいは後悔しないように死ぬ気で勉強するぞ!!と意気込んでみた。

試験一日前(おととい)の自分はヤバかったです。すごいへこんでた。

模擬試験形式の問題集を解いていたら、点数がヤバヤバだった…。
でも後にして思えば、あの問題集が激ムズだっただけで…。しかもページが後ろになるほど難易度が上がってる気がする。

『ズバ予想宅建塾』 週刊住宅新聞社

これの最後の方の問題で50点中30点とれれば本試験合格はカタい…。
本試験が簡単に感じたもん…いや、まじで。


過去の合格ラインは

96年  32点
97年  34点
98年  30点
99年  30点
00年  30点
01年  34点

(↑『出る順 宅建』 東京リーガルマインド より)

02年  多分34点ぐらい。


受験者の数が多いほどこの水準が上がるみたいだから、今年はおそらく30ということは無いでしょう。34、35はいくことと予想。
最近はすごい資格ブームだし…。

無事12月3日かそれより少し後に合格通知が来ることを祈って。。。


+++


惜しかったことがひとつ。

私がものすごくへこんでいた本試験前日は、私の高校のオケの演奏会だった。

私が出身高校に出向く数少ない行事なのに…
そして私のオケ人生の原点なのに…

演奏会を見にいけなかったのは悔しかったです。


でもその分合格点取れたっぽいから、良かった。

大学入ってから、自分の何だか色々な用事で高校の方とはまったく離れてしまった。

でもあそこは自分の原点、自分の人生の転機。
そう思ってる。

はぁ。。。

2003年10月17日
最近はかなり頑張ってるんだけど、やっぱり勉強を始めた時期が遅すぎたのもあって、合格できるかどうかは…。

部活の友達で宅建を同じく受ける子がいるんだけど、その子が

「あなたはまだ法学部なだけいいじゃん。私民法がだめだからな〜」って。

まぁそりゃ、今まで何にも法律に触れてない人よりは多少マシかもしれないけど、私はこの通りエセ法学部だし、からっきし…なのよ。

今日も頑張ります…(涙)

税法がわからん…。


+++


10月の終わりごろに資格試験を受けると言っておいたので、就活で友達になったKやAからの誘いも一時ストップしている。
でも遊び好きで語ることが大好きな人達だし、私もそういうのは好きなので、また遊びたいなぁ。

11月もまた忙しい時期ではあるけど。

アミーゴ!!

というわけで(?)、ラテンアメリカに関するレポートに追われていた私であります。

この忙しい時にマッタク。

私は自分の誕生日だったってのに一日中オン・ザ・デスクでしたよ。


最近、授業が一緒だった友がゼミ友と一緒に授業受けてるため、話し掛けられないのでつまらないです。

今度、とっておきの体験談を聞かせてくれるとか言ってるけど…

それってもしや、例のゼミ友(女の子)と付き合い出したとかじゃないでしょうねェ。


いいなー。秋だけど春だ。(勝手に決めつけ)


やっぱなんだかんだ言っても羨ましいです。
どうする?

まだと言えばまだだけど、もう22だよ。


色々と後悔はある。

自分の性格から言って、もうちょっと冒険してみても良かったのかもしれない。

私の内定先の企業は社長もいい人だし、いつもお世話になってる総務部長もすごく優しいし、私には勿体無い会社だけど…

この会社、私が通っていた高校よりも家から近い。

それがすごく嬉しくもあり、同時に息が詰まるかもしれない…と思う。


ずっとずっと親元に居てもいいのか。

このまま30過ぎてもパパ・ママ・私みたいな生活になるのは、どうなんだろう…。

やっぱり私はもう少し世間の荒波にのまれるべきだったんじゃないかな。

いっそのこと、最初から仙台でも札幌でもどこでも飛ばしてもらって、自分の身ひとつで新たなネットワークを開拓していく…そんな生活を送った方が性分にあったかもしれない。

でも地元は好きだし…

かなりの葛藤。


昨日、色々な心理ゲームをやって遊んでいたら、こんな結果が出たりした。

私があと人生で恋愛する相手は、4.392人(約4人)らしい。
この数字って多いの?少ないの?

同じ4人であっても多くするか少なくするかは自分だと思った。


一人をモーレツに愛して愛して愛しぬく。これを4人やれば、かなり多い感じがした。

私の人生を小説にすると、男性の名前で章が分けられたりして…。

「苺の青春・W編」
「苺は社会人・昭夫編」
「苺の結婚生活・透編」
「苺の再婚・幸太郎編」
「苺の晩年・健一編」


…いや、悪趣味。

やっぱ多いよ、4人。

どうせならこれぐらい濃い恋愛関係で4人を達成しよう。
行きずりで1人をカウントするのは、勿体無さ過ぎる………って、何を言ってるんだろう。自分。

真夜中のドライブ

2003年10月12日
オケの練習場への道、W君の車で大音量でチャイコフスキーの交響曲4番を聴いた。

うちのオケではこのピチカートはそろわない…

チャイコの交響曲で一番難しいのは4番なんじゃないだろうか。
うたい込みをグッと凝ることを考えると6番の悲愴もかなり難しさにはきりがないけど、私達のようなアマチュアオケならとりあえず音符を全部きっちり並べることができるようになるまで…それからオーケストレーションが成り立つようにするにはチャイコの4番はかなり難易度が高い気がする。

それにしてもムラヴィンスキー時代のレニングラード・フィルはすごい。
車の中でこのオケのチャイコフスキーを聴いたのだけど、4番に関してはあの私たちならごまかすしかない細かい音符を、一切ごまかすことなく弾きこなしているのだ。

うーん…あれは本当にすごい。

まず即座に他のオケと異質だと思ったのは、トランペットの音。
最初はやけにベターッとした音であまり好みじゃないと思ったけど、聴けば聴くほど、今までこれだけの音量をキープし続けられるトランペット奏者は見てないな、と思った。
それにトランペットにあんなにヴィブラートがかかるものだっていうことは知らなかった。
まるでオーボエのような吹き方をしている…あのマッチョな金管楽器を。

それから『悲愴』を聴いて驚いたのがヴァイオリンパート。
全員がソリストであるみたいな音色だった。
不思議なことに、人数は8プルトぐらいあるはずだから16人ほどがファーストヴァイオリンを弾いてるはずだけど、音量はものすごいのに、音の質からいってせいぜい5人くらいで弾いてるようにしか聞こえないくらいクリアーな音なのだ。

たぶんあれは、ヴィブラートの幅さえそろえている。
そろいすぎててたまに寒気がした。


私がかなり驚きながら聴いていると、Wが
「ほんとかどうか知らないけど、ムラヴィンスキーは弾けない奏者をシベリア送りにしたらしいよ」と言った。

それを聞いてなんだかとても納得がいった。

まだソ連じゃなくなってからあまり経っていない頃の、アカの色がかなり残っているロシア特有というか…。
共産圏の国はどうしてあんなに「そろえる」ことが得意なんだろう。

だけどこの演奏はかなり奇跡的なものなので、あんな変なマスゲームなんぞと一緒にする気は無い。


+++


帰り道はWが車のライトを忘れてつけたままにしていたので車のバッテリーがきれていた。

JAFに電話をして、おじさんが駆けつけるまでだいたい20分だった。

その後はまた充電をするために一時間ほど走らなければいけなかった。
そのまま話の流れで夜ご飯も食べていくことになり、母にメールでそれを伝えたら「先に寝てるからね」ということだった。

そうなると何時に帰っても同じなので、食べ終わった後、またドライブに行くことにした。

今度はオケの練習場とは反対方向へ…

新宿方向へ向かった。


歌を歌ったりとか、自分たちが過去演奏した曲について語りまくった。

Wとしゃべると必ず最後にはシューベルトの素晴らしさについて語ることになる。

私はシューベルトはオケよりも弦楽四重奏の方がどちらかと言えば好きかもしれない。
「死と乙女」は、弦楽器たったの四つであれほどの広がりを感じさせられるところが本当にすごい。
私はいつも名曲だとたたえている。

あれほどの構成力と、しかもあのメロディーの美しさ…。

「失敗作」が無いベートーヴェンは音楽家の中ではかなり高い位置づけにあるけれど、シューベルトも少し管楽器の使い方が下手だったりすること以外には、決してベートーヴェンにひけをとらないんじゃないかと思った。


あとは自分たちのオケ内では誰の弾き方がどうだとか、批評する会になった(笑)

同じ弾き方というのは、存在しないなとつくづく思う。
100人いれば100人違う弾き方をするのは、ムラヴィンスキーのレニングラード・フィルとは全く異質のアマチュアオケの魅力でもあるんじゃないかと思った。


そんなわけで、真夜中のドライブはなかなか楽しかった。

真夜中のたわごと

2003年10月10日
Wへ。

自分はいつも平気で人の前で不機嫌になったり落ち込んだりが激しいのに、私がたまに珍しくそうなったりすると過剰反応するのをやめて下さいな。。。

それから最後まであなたは誤解してるのかもしれないけど、私がブルブル震えてまで車のエアコンの設定温度を下げたのは、温かいと眠くなると言っていたあなたへのあてつけじゃないですよ!!

色々あって機嫌が悪かったからか分からないけど、私が設定温度上げたことに超イラついてて怖かったからですよ。


あと、私は冷え性だから寒いときはほんとに寒いんですよ。
決してわざとブルブル震えてたわけではないのですよ。


+++


何度も言ったら怒られそうだから、こんな所に書いてしまったりする…。

上に書いてあるような内容は本人には話したけど、何割ぐらい伝わっているんだろう。。。


でもこれでも大分思っていることを伝えられるようにはなった。

いつも私は何かがあると、自分が黙っていれば…自分が我慢していれば、雰囲気が悪くならないと思って色々相手に言わないで来た。
確かにそうした方がいいコミュニケーションがとれる場合もあるけど、何でもハッキリ話してほしがっている人や、それしか求めていない人に対しては私のやり方では逆効果だし相手をイラつかせるだけだと気付くのには長い時間が要った。

人の欲していることに気付くこと。

自分が勝手に相手にとって良かれと思っているやり方を押しつけないこと。


恋人関係だろうと友人関係だろうと、人間関係をよく保つ基本っていうのはここにある気がした。

べつに相手によって性格を変えるということじゃない。それはあまりに自分がない。
誰からも結果的に良く思われない。

要するに、自分の頭の中で勝手に相手にとっていいことを推測するのはやめようということだ。
そういう行為は相手に対しても失礼だ。
私には相手の気持ちがそう手にとるようにわかるっていうことなのか!?………違う。

私は、よく悟ったような言い方をすると言われることがある。

それって違う言い方をすると、人を上から見ているってことなんじゃ…。

そんなはずではなかった。
昔はそうしなければやっていけなかったこともあったけれど、ある時、素晴らしい友達いっぱいに囲まれたときに、自分が本当につまらない、ちっぽけな人間に見えたから。

いつの間に私はその気持ちを忘れてきていたのだろう。


+++


機嫌がめちゃくちゃ悪い時や落ち込んでいる時、それを隠すことをしないのがW。

なぜかというと、本人いわく「それで嫌がって寄ってこなくなる奴らは、所詮俺にとってその程度の人間関係だったんだよ。」ということだから。

彼の言わんとすることはよくわかる。
理解できる。
それで彼は私に言う。

「頑張って明るくすること無いのに。かえってそうやって無理して明るくしていることで虚しくなったりはしないの? 本当の自分を出せない相手なんて、本当の友達じゃないんじゃない? 本当の友達居るの?」


そりゃいくら私だって、本当に落ち込んでる時は友達に頼るしかない。

私は確かにいつも元気にしているけれど、私がいつもムリして明るくふるまってることを期待している友達ばかりじゃないことは知っているよ。
私には、そういう友達とそうじゃない友達の違いが自分の中でしっかりわかっているつもり。


要するに私は、べつにムリしてるんじゃなくて、どんな時も明るくしているのが好きなのだ。

私はケンカが大嫌いだ。
気まずい時間も。
出来る範囲内で、お互いいつもニコニコしていた方が楽しいと思う。
ムリしてニコニコしてるのはおかしい。
そこまでする必要はない。
でもこの「できる範囲内で」っていうのが私にはすごく大事なことなのだ。
我慢できない時以外はなるべくいつも通り接する。
その方が相手に余計な心配もかけないだろう…と私は勝手に考えている。


Wにわかるかな。私の考え方が。


Wは私がムリしてるんだろうとずっと思ってたみたいだ。
確かに多少のムリをしたこともあったけれど、自分がそうしたくてしていただけだった。

私が悪かったのは、自分がそうしたいからすることに夢中で、あなたがハッキリ言って欲しがってたのになかなか気がつかなかったことだ。


…ううん、気付いていたのかもしれない。
たまに私はわざと意地悪した。


今になってやっとわかった。

もう少し早くわかっていたら…
あとつまらない意地をはらなかったら、まだ恋人だったかもね。

だけどお互い幼稚だったんだよ…と思う。
根拠のない自信はなぜか多少あったけど、いざ模擬試験のような問題集を買ってきて解いたら合格点に達しなかった。

くそ。

がんばらねばーーーー!!(炎)


でもこういう種類の忙しさとは早くおさらばしたい。


毎日忙しく飛び回りまくって、「わー私、すごい!!」って思ってる瞬間が好きだったりする。

極限状態に自分をあえて追い込んで、汗まみれになってる自分を客観的に見ているような状態に酔ったことがあった。

バカに見えるかもしれないけど、そうしてなきゃ心が満たされなかったから。

決して健康とはいえない。
そして健康な精神状態とも言えないかもしれないけど。
人が忙しくなろうとしている時って、当然自分を高めたいと思っている時がまずあるだろうと思うけど、全く違う動機に裏付けられてる時もよくあるんじゃないかな。。。

自分を忙しくすることで、何も余計なことを考えないようにする。
退屈な時間がこわくて、何でもいいから予定を詰める。
めったに遊ばない友達に電話をしたりとか、いつもなら断る食事の席にも出席する。


私の場合は、失恋がそうさせた。

いや、私一人の考えではそうならなかったかもしれない。
その時に私の気持ちを痛いほどに身近に感じてくれる人が、私にアドバイスをくれたから。
彼もつらい失恋を経験して半年ほどその時点で経っていた。


「僕は何も考えないために、最近自分を忙しくしてるんだ。
ゼミのやつらは僕のことを、アイツ、あんなに何でもかんでも頑張ってすげェな!!いつ時間あるんだろう!って噂してるけど、実は自分を守るためにやってるだけなんだ。
でもさ、動機なんて、何だっていいじゃない。
結果的に自分を高めていられれば、それでいいと思うよ。」


その話があんまり印象的だったので、私も彼を見習うことにした。

たまに自分がすごくうまくやっていると思ってうれしくなったり、また何かの拍子に一番つらかった時間に逆戻りしてしまってもう一度スタートをきらなければならなかったり…。


でも、今の自分なら、今までの色んな経験を決してムダじゃなかったということができる。

私にアドバイスをくれた彼が私にしてくれたように、私もまた人のつらさがよくわかる人になることができたから。

「本当のつらさをしっている人には、本当のつらさを味わっている人の気持ちがわかる」とよくいうけど、「あぁ、こういうことだったんだな。」
と今ならしみじみと実感できる。

我ながらすごい

2003年10月6日
二日で問題集一冊片付けた。
ってかこんなにやれば出来るんだから、もっと前からちゃんとやっときゃ良かった。

こんな忙しいさなか、今日はこの後「社員総会」とかいうのに呼ばれている。

さぁ、もうひとふんばり。

後輩のバースデイ

2003年10月5日
仲のいい後輩のバースデイだっていうのに、誕生会に出席できなかった。
夜通しでやると次の一日までつぶれてしまうから、私が忙しくなくなるまでもうちょっと待ってと皆にワガママ言って帰った。

行けないこともなかったかなぁ。。。

でもその分今日は頑張るぞ。

そういえばあと8日で私の誕生日じゃん!!と気付いた。
自分にも何かプレゼントをしようかな。
最近の私のモットーは「ストレスをためない」。
自分のために頑張り、自分のためにごほうびをあげるということだ。

すべて片付いたら、贅沢な時間を過ごそう。

映画を観て、いっぱい歩いて、おいしいものを食べて、本を読んで、音楽を聴いて、やり残した編曲を片付けて、部屋をきれいにして…。

あわただしくて出来なかった自分のための誕生日祝いをしよう。


+++


のりにごま油をうすく塗って塩(岩塩がいい)をふりかけて食べると韓国のり風になって美味しい…。

おためしあれ。

賭け、誰も当たらず

2003年10月4日
私の所属するオケで一番のお騒がせカップル(迷惑カップル)が、つい最近別れたらしい。
…だからどうってことも無いけど。

もう二人が別れるのはこれで三度目だ。どうせまたくっつくだろう、と私は思ったけど、「いや、今回は本当に本当みたいなんだよ」とみんな言う。

どうせみんな、また騙されてるんじゃないかな〜とかんぐってみたけど、今回は彼女の方がオケを辞めたらしく、どうやら今までとは違って本気らしい。

………っていうか、それしきのことで辞めるなよっ。

あんたは彼氏に逢いにオケ来てたのかーーー!!!


いいんだけどね。
価値観は人それぞれさ。
私がとやかく言うことは無いんだけど、

「…というわけで、私、部活辞めます」

なんていうセリフが平気で言える人と今まで一緒にオケやってきたって思うと………うー。
しかも私と同じようにパートトップだったのに。
(というわけって何だよ!!怒。)


あの二人が付き合いだした時、不謹慎だけど周りのみんなでよく賭けをしたものだった。
何ヶ月もつのか…という賭けを。
最低だけど…これが実に盛り上がったなぁ。(ほんと最低)

でも結局言い当てた人は居なかったな。
1年半ももつなんて誰も予想しなかった。

私は3ヶ月だろうと予測。
他に3ヶ月に賭けた人が3人。
最短で一週間っていう人がいたけど…

その中でWは一人だけ「結婚する」に賭けた。


「みんなより遥かにいい線いってたのに、惜しかったね」と言ったら、

「もうどうでもいいよー」とそっけなかった。

春や秋は絶対別れる人が多い季節だと思う。
なぜだかはよくわからないけど、季節の変わり目っていうのは何かしら影響を与えるものなんじゃないかと思う。

夏は恋人と過ごしたいとか、冬もクリスマスやら年の始めやらを恋人と過ごしたいっていうのはよく聞くけど、春とか秋はそういうイベントが無いからなのかなぁ。

体重増えた

2003年10月3日
やばい。

やばい。本当に。

忙しくなくなったら、すぐにどうにかしないと。


最近は私のおなかをチェックする人がいないため、油断してかどんどんおなかが…


こういう時にふと思う。

彼がいた頃の自分って、もうちょっと自分の見かけに気を使っていなかったかなと。
とりあえず、今よりは「太っちゃいけない」と思っていたような…。

一人になるとしばらくはやつれたけど、その後で回復すれば、ここぞとばかりにブクブクブク………これはいけない。


フリーの時こそ自分を磨かねば。


べつにすぐにでも新しい彼がほしいっていうんじゃないです。
むしろしばらく要らないと思っているけれど、だからといって自分が女として堕落していくのは本当に嫌。

今日もばっちり気を抜かずにお洒落していかねば。


+++


最近、一人の毎日がかなり充実していて、気楽で、それに楽しいので、私は根本的に男の人と付き合うのが苦手なんじゃないかと思ったりした。

もちろん色々楽しかったことはいっぱいあった。
でもそれと同時につらいことや面倒くさいことがたくさんあった。
彼がいる状態っていうのは私にとって人生が二倍濃くなったような毎日だったと思う。

それだけど失った時の損害は大きかった。

こんなこと書いて人の同情を買いたいわけじゅないけど、食事も全然喉をとおらなかったし、一日中ぶつぶつ一人ごとを言いながらこれ以上ない暗い顔をしていた気がする。

一緒にいた時の楽しさと別れた時のつらさを天秤にかけたら、別れた時のつらさの方が圧倒的に重かったような気がする。


もちろん、この先どうなるかはわからない。
楽しいと感じる方に天秤が傾くことだってあるだろうし…。

ただ、どうせ何らかの形で別れていくことになるならもう恋人なんか要らないと思うこともしばしばある。

でもそう考えてしまうと、自分の今いる友達だって、いずれはどちらかが先に死ぬし、何らかの形で別れることには変わりがない。


フリーでいることって、とても気楽だけど、しかるべき時がくればまた恋愛しなくちゃならないんだろうなと思った。
その時はきっと猛烈に恋愛したがってる自分がいるはずだから。
他の選択肢なんて、自分自身が全く与えてくれないのだろう。


内定式。

2003年10月2日
今日は内定先の会社の内定式だった。
グループ総合で、今年は60人余りの内定者がいる。

グループ会社の取締役の面々が前にずらーーっと並ぶ。
その中に、私を採用した役員もいる。
その人が席につく前に軽く会釈をした。
向こうも私に気がついて会釈をしてくれた。
採用人数2名だからすぐに覚えてもらえる。
これが小さい会社のいいところ♪

そして今日もタダめし♪
某高級中華料理の店で懇親会をした。
美味しかった〜☆
この中華料理店は小さい時に一度行ったことがあるけど覚えてないし、また一度は行ってみたいと思っていた。その念願が叶ってよかった。


あと忙しいのは資格の勉強のことのみだ。
もうあきらめたっていう人は、今日話した限りではかなり多かった。
私も自信ないかも。宅建、税法とか難しいよ…。

まぁとにかくそれが終わってしまえば、今度は免許取得にいそしむことになるだろう。
忙しい秋になる。

早いな…。

2003年10月1日
今日は3年生は就職ガイダンスがあったらしい。

自分の就活だってまだ記憶に新しいのに、もうかよっ。

就職ガイダンスはうちの大学では5回ぐらい催されるけど、その2回目ぐらいには手の早い人はもう色んな会社にエントリーしている頃だ。

この時期はどんな会社でも少しのぞいてみようかという気があればジャカジャカ資料請求する。
リクナビのボタン一つでエントリーできる会社は少ないので、時間と体力がある限り氏名・住所・電話番号・大学名・学部学科・自己PRその他を打ち込む。

昨日のことのようだ。


部活の後輩たちを見ても、「この人の精神力で就活を乗り切れるのかなぁ」って思う人がとても多い。
でも、本人たちも将来どうするかについては未だにほとんど考えていないらしい。


私も相当不器用で方向性のない就活をしていたから色々と言える身分ではないのだけど、就活をしていて本当によくわかったことがただ一つだけある。

会社っていうのは、一般に人から好かれる人間を採用したがっているとは限らない、ということ。

人材の会社やコンサルティングの会社ならそのへんが重視されるけれど、そういう会社でなければ求める人物像っていうのは本当に多種多様なのだ。
どこかボケーッとしていて、いつも「穏やかだね」「優しいね」と友達から言われるような人柄の人は、友達としてはいい奴だったとしても会社に好かれるとは限らない。

むしろ、「あいつ、こすっからいよな」とか、「要領のいいヤツ」とか、「また自分だけええかっこしぃな奴だ」とか思われる人が案外成功していたり。

もちろん、友達の気持ちに敏感で超気遣いな、いい人は成功していたりする。

理想としては、こういう「会社にうけるいい人」だけど、なかなかそうなれはしないんだよなぁ。。。


+++


近所の知り合いがトラブルに巻き込まれたらしい。

なんか、自転車をこいでいたら前からもおばあさんが自転車でやってきて、ぶつかりはしなかったものの、思いっきり自分の近くでおばあさんがころんだとか。
おばあさんは荷物をいっぱいカゴにいれていたらしい。

その人はお人良しだから、大丈夫ですかって話し掛けるだけじゃなく、家が近かったものだから傷の手当てまでしてあげた。
しかもこともあろうに、何かあったらと自分の電話番号まで教えてしまった。

そうしたら、そのおばあさんがツワモノで、後で電話にかけてきた。

「骨は折れていないようだけど、詳しく調べないとまだ色々とわからないので、あとのことはよろしくお願いします。
お金の方をどうにかしてくれなければ、こちらも出る所に出ますから。」

と言ってきたのだとか。

しかもそのおばあさん、ぶつかってないのにぶつかったと主張してくるらしい。

そういう時は、強く出ないとダメね、ってさっき家族で話してた。
親切心でやったことをこういう形で返されちゃ、たまったものじゃない。
こっちには何も負い目がないのだから、保険会社の方からもお金を出させないべきだと。
お金を出すっていうことは、認めたことになっちゃうから。

それにしても…私には何だかそのおばあさん一人だけの知恵だとは思えない。
多分、後ろから誰かが入れ知恵しているんじゃないだろうか。

ああ、こわいこわい。
世の中善人だけじゃないなとつくづく思います。

取れるところから搾り取ってやろうというタチの悪い人種はいるものです。


注意しましょう。


一番最近出したのがコンゴの内戦を扱ったレポート。
暇つぶしに読み返したら、また新たな知識欲をかのたてられるものがあった。

この記事を題材にしたレポートだった。

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『コンゴ虐殺、拡大の恐れ 民族衝突の背景に地下資源』
【ヨハネスブルク14日】民族対立を背景に戦闘が激化し、5月に数百人が虐殺されたコンゴ(旧ザイール)北東部ブニア周辺に国連多国籍軍が展開を始めた。フランス軍の先遣部隊が今月6日に到着したが、展開地域は市街地と飛行場だけ。治安維持能力は限られ、100万人以上が殺された隣国ルワンダの大虐殺のような深刻な危機への発展が懸念されている。
 コンゴからの報道によると、コンゴ紛争に介入したウガンダ軍が5月6日にブニアから撤退し、多数派レンドゥ人と少数派ヘマ人の対立が再燃、数万人の住民が家を追われ、武装勢力によるレイプや惨殺、略奪などの残虐行為が起きた。
 両民族は金やウランなど地下資源が豊かな同地域の支配をめぐって衝突。石油開発も現実味を帯び始めており、利権をめぐる思惑が事態の解決を阻んでいる。武装勢力の背景にはウガンダやルワンダの支援が指摘されている。
Yahooニュース−海外−共同通信 6月14日(土)より


+++


黒幕は欧米企業。
のちにウガンダやルワンダの介入を助けたのは欧米企業で、地下資源が豊富なコンゴ支配を現実のものにするために資金面での協力を大いにするから、その条件として我々にもその地下資源に対する取り分を与えろ、という風に、ウガンダと契約する企業・ルワンダと契約する企業の双方が糸をひいていた。

その結果、紛争が長期化。

そもそもこのコンゴっていう国は、旧ザイールだということは意外と知られていないかもしれない。

ザイールがあった時から存在しているコンゴは別の国で、コンゴ共和国。
旧ザイールはコンゴ民主共和国。

なんだってこんなまぎらわしい名前をつけるのかというと、両方とも「コンゴ族」の国であり、それらはかつての宗主国フランスやポルトガルによって分断されたから。

フランスは最近アフリカへの覇権を取り戻そうとしてきている。当然この豊富な地下資源に魅力を感じて。

9.11以降アメリカは中東への覇権を手に入れようとするために、フランスに対してアフリカへの覇権を手に入れることを許してきている。

一体、地下資源に目がくらんでいるフランスがアフリカの平和を守れるのだろうか。

ひきこもり2日目

2003年9月28日
熱は下がったものの、まだ喉が痛いから家にずーっといた。

本来毎日外に出ないと落ち着かない私にとっては、こう長く家の中にいると変になりそうだ。

夜も部活やら飲みやらで帰るのが遅いことがしょっちゅうだから、そっちの方が普通になってしまったらしい。


でも、就職するとそうもいかなくなりそうなのだ。

私の行く会社は、たとえ一番遠い所に配属になっても私の通ってた高校よりも近いし、大学に至ってはその通学時間の三分の一で済むくらい。

仕事がどれくらいに終わるものなのかはよくわからないけど、今より確実に毎日早く帰ること間違いなしだ。

そんなの、私に耐えられるのかなぁ。


今から効果的な家での時間の過ごし方を考えておこう。

何もしない日。

2003年9月27日
朝起きたら熱があった。

家から歩いて3分の医者へ行く。


頭がガンガン痛む。


最近、頭の痛くなる風邪が流行ってきているらしい。

周りでは誰もひいていないところを見ると、私が先駆者か??

そんなわけで、今日は超怠惰に過ごす。

だけど頭の中では次々とやりたいことが渦巻いている。

あれもしなくちゃ、これもしなくちゃ。


私がそういう風に思っている時は、精神状態がまともな時だ。

今年の春ぐらいが私にとって一番「人生の谷間」だった。

どんなにつらくても、半年もすればほとんど回復するのだということがわかった。

人によっては一年かもしれないし、もっとかもしれないけど…。


ただ大変なときっていうのは、そうも考えていられないものなんだよな…。

風邪ひいた

2003年9月26日
何も無茶してないっていうのに、なぜか風邪をひいた。
のどが痛い…。


多分、デスクワークばっかりやってるからだ。
ここのところ、運動不足すぎる。


家の比較的近いW君が私を車で送ってくれてから全然歩かなくなってしまったのもある。

だけど水曜日だけはWは学校に行かず私だけが行く日なので、電車に乗って久しぶりに学校へ行った。


その帰り道、京王線の新宿行き特急電車に乗っていたら、何やら「地べたりあん」がいた。

地べたりあんを見るのは久しぶりだった。

多分、推定偏差値20の高校生だろう、と思っていたら、なんと二十代半ばの女性だ。

しかも、電車のドア付近ではなく思いっきり通路の真中に堂々と座ってる。けっこう電車も混みあってきたというのに。

そんな中でおもむろにバッグから化粧品を取り出し、化粧をしているではないか。


明大前で私は降りようとしたんだけど、地べたりあんが邪魔でなかなか降りられなかった。


昔は電車の中は痴漢が今より多かったと思うけど、最近はそれ以外でも色々モラルの低下があるような気がする。
結構電車の中で「えぇっ!?」と自分の目を疑ってしまうような出来事が多い。

新学期早々…

2003年9月24日
この山奥まで朝の9時20分(つまり6時半起き)の1限に間に合うように一生懸命来たっていうのに、休講とは何事か。

この後は4、5限だからそれまでの時間がまた嫌…。

だけど暇のつぶし方なら、この大学のおかげで10通りくらいは覚えたから、まぁ良しとしよう。

それにあまり暇でもないし。
勉強しなきゃだし。。。

今はしばしの休憩時間。


+++


暇をつぶすといえば、この「暇のつぶし方」をたくさん知ってるということが子供と大人の違いのひとつじゃないかとこのごろ感じることがある。

それも、友達とつぶすんじゃなくて、一人で暇をつぶすということが。

周りの友達としゃべっていると、何気ない会話の中に、「あぁ、この人は昨日一人でそんなことをしていたのか」と気づかされる時がある。

それが高尚な趣味だったり、はたまた周囲の人との差をつける勉強や何かだったり本当に様々なんだけど、そういうのを聞いていると、みんなも自分ももう自立した大人なんだなとかなり自覚させられる。

そりゃ、大学も卒業するような頃になって当たり前といえば当たり前なんだけど、ずっと学生やっていると自分が大人だっていう自覚に欠けることが多いから…。


自分がときどき無意味な寂しさとか理由もない落ち込みを経験している時に、友達は違うことをしてると思うとなんとなく焦ったりする。


もちろんたまにはマル一日使って、超怠惰な日とか、ひたすら歩く日とかを過ごすこともそれはそれで重要なことだとは思うけれど。


+++


家に帰ってきてまたPCの前。

最近日記ばっかり書いてる気がする。

ひさびさの国際政治系の授業は面白かった。
といっても、ビデオ見てただけなんだけど。

なんとなく懐かしかった。
退学入って国際政治にハマッていたのって、1・2年のときだけだった気がするし。その後は色々と忙しく、どんどんそっちの勉強からは疎遠になっていったから。


いまソマリアという国はどうなっているのか。

考えたこともなかった。
イラクのことばかりテレビで見ていたような気がするけど、ここも1992年のアメリカの軍事介入後、国家の再建の手伝いもせずにアメリカが放置して帰ったあと、無政府状態に。

その後干ばつが続き、今は一日に3000人の人が餓死をしているとか。

それにしても、あのガリガリに痩せて骨と皮だけになった子供の姿というのは、どの国でも本当によく似通ってる。
北朝鮮の子供も全く同じだった。

ああいうのを見てから、ブルジョワな家庭でやたらとボランティアが流行していた頃の様子なんかを考えてみると、確かにボランティアはすばらしいことなんだけど何かが根本的に間違っているような気がする。


色々な、どれも金がかかりそうなカルチャースクールの案内のパンフレットの横に、「めぐまれない子供たちに愛の手を」のようなパンフレットがあるというか…その情景の何ともいえないこの隔たり………うーん。なんと表現したらよいのか。

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