音楽

2004年1月27日
ヨーヨー・マの「プレイズ・ピアソラ」というCD。
一時期はこれが好きで好きで、毎日聴いていた。
ピアソラにはまって、その後ピアソラのCDをいくつか聴いた。

渋く、物悲しい響き。
私はそういう場所に行ったことはないからただ想像するだけだけど、あまり流行らない場末のバーに腰をかけてウイスキーをちびちびやっているような感じだ。

根底にある「貧しさ」のようなもの。
心の貧しさ、生活の貧しさ。

それから欲望、情熱、それと反対の沈黙、冷たさ。

もっと長い間聞いていたら、自分や自分の国の人間共通の深層心理みたいなものとこの音楽が共鳴する理由がわかる気がした。
なぜタンゴが日本で流行ったのか。
その理由が。


だけど最近はこの音楽を聴くと、それとは違った色々な想像の世界が広がる。

懐かしさというか。
いつかの記憶がこの音楽で断片的に、意味をなさない連続性をもってよみがえってくる。


ヨーヨー・マの「プレイズピアソラ」の3曲目、アレグロを聴くとなぜか地下鉄を思い出す。
地下鉄の横揺れや暗い窓の外、湿った空気のにおい…そういうものまでが細かく思い出される。

このCDを聴いていたのが高校時代で、地下鉄で毎日通っていたからという理由だけでもない気がする。

テンポの速い、停滞しない曲の感じから電車のようなものが思い浮かぶのかもしれない。
でも明確な理由はやはりつけられない。
私の中では、なぜかそうなのだ。
3曲目のアレグロ=地下鉄


この曲を他の人が聴いたら全く別の印象を受けるだろう。
10人が聴けばそれぞれ10通りの情景が浮かぶだろう。

結局、みんな同じ音楽を聴いているようで全く別の音楽を聴いているということになるのかもしれない。

ドヴォルザークの弦楽セレナーデを聴いて、なぜか村上龍の「限りなく透明に近いブルー」を思い出すのは私だけだと思う。

一方チャイコフスキーの弦楽セレナーデを聴いて、なぜか夜のだだっ広い公園の大きな大きな噴水をイメージするのも私だけかもしれない。

音楽は主観で聴くものなのかもしれないな…。

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